ちょっと前の夏休み 八丈島vol.2
2008年9月
キャンプ場には、30人ぐらい居たと思う。
近くにテントを設営していた外人のカップルは、ロードを持ち込んでいた。
ドイツ人の姉さんは、日本語が上手く会話も問題なくできたが、彼氏のアメリカ人は日本語が出来ないとの事だった。
ドイツ人のマチルダ(仮)を間にはさみ、アメ公のサム(仮)と話をした。
お互い片言ながらも意思の疎通ぐらいはできた。
他にも数人のアメ公が来ているらしく、BBQをやるから食べにこいと誘われた。
一食浮くので、当然誘いに乗った。
質より量のアメリカ的なBBQだった。
島を一周して腹が減っていたので、遠慮無く食べる。
日本人らしくないと笑われた。
心外だ。Japanese Standardのつもりなのに。
飯の後はキャンプファイヤーをやった。
廃材を燃やしていただけだったが。
ダイオキシンなんて関係無いようだ。
デブのアメリカ人ジェイクは、翌日帰らなければならないらしく、休みが少ないとボヤいていた。
この後、小笠原にも行くと言うと本気で悔しがっていた。
「なんで、日本人のお前がそんなに休めるんだ?おかしいじゃないか!クソッ!世の中間違ってる!」
といったニュアンスのことを言っていたらしい。
翌朝の船で帰る数人を港へ見送りに行った後、八丈富士を登りに行った。
八丈小富士を眺めた後に登り口へ。
途中で、散歩中の方に話しかけられた。
内地では会社の御偉いさんなんだそうだが、普段は八丈で暮らしていると言っていた。
羨ましい限りだ。。
八丈空港と底土港を眺められる休憩所で景色を楽しむ。
距離は短いが、斜度があるのでMTBのブロックタイヤではキツい。
島を一周している時には牧場が見当たらなかったが、こんな山の上に牧場があった。
ここでも牛乳が売っていたので購入した。
道路はここまでしかないので、山頂へは徒歩で行く事になる。
天気が崩れて小雨まじりになってきたので登頂は諦めたが、この場所から山を一周する鉢巻道路があるので、景色を楽しみながら一周し下山した。
下るのには15分程だった。
町の方は閑散としていた。シーズンオフだったからなのだろうが寂れている。
キャンプ場に戻り、晩飯の支度をする所で声をかけられ、前日に続きBBQをご馳走になった。
牛肉を食わせてくれる人は、人種を問わず良い人だ。
天気予報を聞いていると、台風の影響で海が荒れそうだと言っていたので、3日間滞在するつもりだったが翌日の船で引き上げる事にした。
八丈島の後は小笠原諸島へ行く予定だったので、ここで閉じ込められるとどうにもならないからだ。
翌朝港へ行き船のチケットを購入し、近くを散歩していた。
雲がかなり低い場所まで来ているのがわかる。
年間降水量は日本で5番目だと資料館で聞いていた。
出航間近になり忘れ物に気付いた。
港の近くには回天の発進基地跡があるので見学しに行こうと思っていたのだ。
次に来る時には忘れない様にしたい。
船は、途中で幾つかの島に寄りながら内地を目指す。
時間があれば三宅島にも行きたかったが、この時は船上から眺めるだけだった。
港近くの山肌に黒い物が見えるが、これが溶岩が流れてきた跡だと聞いた。
2000年の噴火では全島避難勧告が出された後、48時間以内でほとんどの住人が島を脱出できていた。
その中で、某掲示板に島の人からの実況が書き込まれ、マスコミの報道では分からなかったリアルな状況が伝わっていた。
現在でも、島の一部は火山性ガスのため立ち入りが禁止されている。
ガスマスクは竹芝桟橋でも買えたと思う。
内地に着いたのは夜だったので、友人の店で晩飯を食べようと思っていたら会社から見計らったかの様に電話が。。。
予定を変更した為に、休暇中なのに仕事をするはめになったのだった。
次に八丈島へ来る時は、釣り竿を持ってきたいな。
パチンコ屋も覗いてみたい。懐かしい台が置いてあるかも。